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冷めつつある憤りについて<ミドルオブノーウェア> 2011年07月22日 雑記 トラックバック:0コメント:0

去年の秋ごろ、大学の部活で学祭の準備をしてたとき、勢い余って先輩に「いやぁ大変ですね」なんて洩らしたせいで大ひんしゅくを買うことになった。
先輩の主張は「部活なんて遊びなんだから疲れたなんて言ってるんじゃない」というもの。

大学という看板の庇護にあずかっている以上、自分がいくら犠牲を払ったとしても遊びにしかならないことはもちろん分かっている。
しかし、腹が立つことは腹が立つ。こっちは体力を削って遊んでるんだよ!という誰にも向けるべきではない怒りはどうすればいいだろう。


・・・


遊びと仕事の境があるとしたら、金銭の移動が発生するかしないかという違いだ。
大学の文化祭でもなければ普通の人が手間をかけて来るわけがないし、無料じゃなければ見るわけがない(個人的な所感です)。
前提として、遊びというのは許される規模がとてつもなく大きい、というのは覚えておかなければいけない。

金が発生しなければ、ある程度は好き勝手にやっても構わないだろうし(あからさまな不法行為は除く)、アクセスの容易さも保障されるだろう。
これは提供する側とされる側に損なわれるコストがないということの現れだと思っている。そのかわり、遊びは終わった後に残るものが極めて少ない。
甘えを測る尺度がないように、わざわざ遊びに文句を言う人なんて存在しないんですよ。
逆説的に言うと1円でも金がかかるということは生活に直結するということだから、コンテンツの質自体が問われ、淘汰の波に振るわれることになる。
それが仕事ということでしょう。

しかし、「金を取らないものが全て遊びになってしまうのか」と聞かれたら、そうではないだろうというのが僕の意見。
体話だったりA Book Coveredというのは金を取ってはいけないものだし、無料だからこそ発表できていると思っている。
しかし、遊びでやっているのではなくて、金が取れないだけと言わざるをえない。
それに「金を取らない仕事」や「金を取る遊び」だってあるはずだ。だってポストモダンですよ?

結局、金を取るのか取らないのかは生存戦略や自信の無さだったりで各々が取捨する選択でしかない。
遊びなのか仕事なのかという差異すら、目的ではなくて手段に変わってきているのだろう。
言葉遊びになってしまうけれど、「何かを得ることは何も得ていない状況の破棄にほかならない」というのは、まさに的を得た(射た)表現じゃないか。

You Say "Good!" Labelは未だに捨てる覚悟ができないまま遊びを続けている。
自信もなければ覚悟もない。金もない。ください。


・・・


なんという理不尽な日記だろう。愚か者のたわごとですね。
次はもっと具体的なことを書きたいと思います。

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